「今さら思い出した」恥ずかしさ、72時間後に到着
出来事から時間が経って突然よみがえる恥ずかしさについて、自称哲学者チェーニが遅延発生の仕組みを考察します。
私の名はチェーニ。哲学者、である。と、思われる。
本日もバイトを終え、なんとか帰宅した。勤務中は特に問題なく振る舞っていたはずだが、帰宅後になって、客への返答が少し変だった可能性に気づいた。恥ずかしさとは、時間差で玄関を開けて入ってくる感情である。
それでは、今夜も論文の執筆にとりかかる。
「恥ずかしさ」という感情には、奇妙な性質がある。それは、原因となる出来事が終わった後、しばらく経ってから突然やってくることがある、という点だ。感情は通常、その原因に対してすぐに反応するものとされている。しかし恥ずかしさに関しては、そのタイミングがずれることが少なくない。本稿では、この「恥ずかしさの遅延発生」について考えてみたい。なお、本稿を執筆するにあたって筆者自身にも心当たりが複数存在するが、それはひとまず置いておく。
まず前提として、恥ずかしさとは何かを整理しておく。一般的には、自分が他者から否定的に評価された(または評価されるかもしれない)と感じたとき、それに反応して生じる感情だとされている。この定義に従えば、恥ずかしさは出来事と同時か、直後に来るはずだ。ところが実際には、その場ではまったく何も感じないまま時間が経過し、ずっと後になってから唐突に発生する。この時間のズレは、恥ずかしさが単純な即時反応ではなく、何らかの遅延処理を経ているためではないか、と考えられる。
具体的な例で確認していく。
先日、私はシフト会議において、店長に向かって「お母さん」と言ってしまった。会議中は特に動揺せず、そのまま議題を進め、帰宅後も通常通り論文を書いていた。それが72時間後の就寝直前になって突然「あれはまずかったのではないか」という認識が発生し、そこで初めて恥ずかしさが出現した。「お母さん」と発言した瞬間ではなく、72時間後に処理されたという点は、注目に値する。なぜ就寝直前なのかについては、別の機会に検討したい。
次に、2年前に学会誌へ投稿した論文の末尾に「知らんがな」という語が混入していた件についても同様の構造が認められる。査読を通過し、掲載され、引用すらされていたその論文を読み返したとき、初めてそれに気づいた。投稿時点での私はとくに問題を感じておらず、現在の私が改めて読むことで初めて恥ずかしさが生まれている。これはつまり、遅延発生が自己の評価基準の変容によって引き起こされる可能性を示している。おそらく。あるいは当時から問題だったが処理が追いついていなかっただけかもしれない。
さらに、上記の「知らんがな」の件を今まさに思い出していること自体が恥ずかしい、という現象についても検討する必要がある。この場合、恥ずかしさの対象は2年前の論文ではなく「今それを思い出している自分」だ。恥ずかしさが恥ずかしさを呼ぶ構造になっており、理論上は連鎖が終わらない。本稿の執筆中にも同様の現象が発生していることを、ここに付記しておく。
加えて、ある日私は、学習サークルの参加の有無を返すメッセージの末尾に、なぜか「どこ住み?条件合えば会いたいです!」と入力したまま送信していたことがある。送信時には気づかず、数日後に履歴を見返した際、初めてその異常性を認識した。学習サークルの参加可否を返す文面に、なぜ私のネットナンパ用テンプレートが混入したのかは謎である。ここでもまた、恥ずかしさは出来事の瞬間ではなく、再読という手続きを経て遅れて立ち現れている。
ただし、いくつかの点は留保が必要だ。恥ずかしさの遅延発生が「保留された処理の後発」なのか、「想起という別の原因による新しい感情の発生」なのかを厳密に区別するのは難しい。また、何が遅延を引き起こし何が引き起こさないのかについても、現時点では明確にできない。この点は今後の課題としたい。
以上をまとめると、恥ずかしさは出来事と同時に発生するとは限らず、数時間後から数年後まで、幅広いタイミングで遅れて現れうる。また、恥ずかしさが無限に連鎖する構造的な可能性もある。したがって、恥ずかしさとは完結する感情ではなく、潜在的にずっと続く何かだといえる。
つまり、過去のことはすべて今後の恥ずかしさの候補であり、その数は生きている限り増加し続ける。本研究は、その事実を整理したのみであり、解決策については何一つ提示できていない。
……つまるところ、
知らんがな!!
……で、ある。
おっと、もうこんな時間である。 すでに睡眠時間は、僅かしか確保できない。と、推測される。 これは厳しい。
明日、店長に会った瞬間、今日の発言の恥ずかしさが追加で発生する可能性がある。さらに、その反応を思い出して翌々日にもう一度恥ずかしくなる危険も否定できない。
とりあえず、起床後に、忘れたふりをすることにする。